「サクレ・クール寺院」モンマルトルの丘に聳える清らかな白亜の聖堂

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パリ北部18区、”芸術家の聖地”と呼ばれた場所「モンマルトル(Montmartre)」 。その丘の頂きに「サクレ・クール寺院 (Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre)」が聳えています。清らかな白亜の聖堂と抜けるような空の青とのコントラストが見事です。

単に「サクレ・クール寺院」というと、パリの観光スポットとしても知名度が高いモンマルトルにあるこの寺院を指すことが多いですが、「聖なる心(聖心)」を意味する「サクレ・クール」という名の教会は、フランス国内とフランス語圏に多く存在しています。イエス・キリストに捧げられ、守護として祀る教会を表しています。

標高130メートルというパリで一番高い丘にあるサクレ・クール寺院の姿は、ノートルダム大聖堂オルセー美術館などパリ市内の各地から目にすることができました。反対に、サクレ・クール寺院からはパリ市内の壮観な景色を眺めることができます。

サクレ・クール寺院は、19世紀後半、普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンで亡くなったフランス市民を讃えるために建築が始まったと伝えられています。設計したのは、ノートルダム大聖堂の修復にも参加したパリ出身の建築家ポール・アバディ(Paul Abadie)です。

サクレ・クール寺院の特徴の一つとして、イスラム教のモスクを彷彿とさせるような天高く突き抜けるドームが際立ちます。当時、教会建築で主流だったのはノートルダム大聖堂にも見られるゴシック様式でしたが、アバディはロマネスク様式とビザンティン様式という2つの建築様式を融合した異彩の設計をしました。

ロマネスク様式は、10世紀末から12世紀にかけて西欧に広まった中世の様式で、半円アーチや重厚な壁体、小さな窓などを特徴としています。一方のビザンティン様式は、4世紀頃、東ローマ帝国(ビザンティン帝国、現トルコ・イスタンブール)で生まれた様式で、ドームやモザイク画を特徴としています。その後、イスラム教のモスクなどにも受け継がれていきます。

また、パリ市内で見られる他の教会と明らかに異なるのは外壁の色です。アバディは寺院の建築にあたって「トラバーチン」という雨に濡れたり風化すると白くなる石を使用しました。白は神格化された穢れない教会を表す色であり、平和を象徴する色です。

1875年から40年以上という年月を建築に費やし、完成したのは1914年。礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦のあと、1919年のことでした。サクレ・クール寺院に平和への祈りを込めたアバディは、その完成した姿を見ることなくこの世を去ったのです。

残念ながら、寺院内の撮影は禁止。中へ入ると、ノートルダム大聖堂サント・シャペルとは異なるような圧倒的に厳かな空気が流れていました。まず目を引くのは、475平方メートルの世界最大級という大きさを誇る荘厳なモザイク画です。民族融和を象徴として、キリストを中心に多様な人種の人々が祈りを捧げるシーンが描かれています。

窓から射す優しい光の中、祭壇に祀られているキリスト像がすべてを神聖に包み込んでいるようで、観光客が訪れている一方、たくさんの信者の方々が熱心に静かに祈りを捧げていました。寺院内の撮影が禁止ということも了知できます。

信者の方々の邪魔にならないように、後方の椅子に座らせていただいて、母と2人でしばらく時を過ごしました。サクレ・クール寺院の優しさと清らかさは、宗教を超越して、大切な人を亡くしたばかりの私たちに手を差し伸べてくれるようでした。

外へ出ると、空高くにある太陽が寺院を明るく照らしていました。ファザートの正面は訪問者を迎えるキリスト像、正面右側の騎馬像は百年戦争で台頭したフランスの国民的ヒロイン、カトリック教会の聖女でもあるジャンヌ・ダルク、左側はサント・シャペル建築の後援者であり、死後、カトリック教会によって列聖されたルイ9世(聖王ルイ)です。

しばらく眺めていると、風とともに雲が流れて、白亜の寺院と青い空との美しいコントラストを再び見ることができました。丘高くに聳える清らかで神聖なサクレ・クール寺院に見守られながら、モンマルトルの丘をあとにしました。

最後に・・・寺院に向かうときに正面の階段から上っていく場合、芝生の下周辺にミサンガを強制的に巻きつけてきたり、お土産を強引な感じで勧めてくる人がいるので、必要ないときはハッキリ「NO!」と意思表示しましょう。パリ中心部とは少し違った雰囲気です。

Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre(オフィシャルサイト)

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