「ヴェルサイユ宮殿」豪華絢爛!栄華を極めたフランス絶対王政の象徴

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フランス・ブルボン王朝の最盛期を築き、太陽王と呼ばれたルイ14世が、パリ郊外に造営した「ヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles)」。その豪華絢爛な宮殿と庭園は、栄華を極めた絶対王政を象徴する重要な歴史的建造物です。1979年には「ヴェルサイユの宮殿と庭園(Palace and Park of Versailles)」としてユネスコの世界遺産に登録され、今もなお、世界中から訪れる人々を魅了しています。

パリからヴェルサイユ宮殿へのアクセス

パリの南西約20kmに位置するヴェルサイユ宮殿へのアクセスは、RER(イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網)C5線で、パリ市内の各駅からヴェルサイユ・シャトー・リヴ・ゴーシュ(Versailles Château Rive Gauche)駅へ向かいます。RERC5線の終着駅でもあり、パリ市内からは30〜40分ぐらいです。

ヴェルサイユ・シャトー・リヴ・ゴーシュ駅からヴェルサイユ宮殿までは、約600m、徒歩で10分弱です。並木道の先に、輝くヴェルサイユ宮殿の正門が見えてきます。

ルイ14世による絶対王政の象徴

宮殿の正門前にはルイ14世の像。ヴェルサイユ宮殿の基礎となるのは、ルイ13世が建築した狩猟のための小さな館でしたが、1661年、ルイ14世は建築家ルイ・ル・ヴォーを招いて宮殿本館から増築を開始しました。その後、庭園は造園家アンドレ・ル・ノートル、鏡の間や王室礼拝堂などは建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールと画家シャルル・ル・ブランが手がけ、数十年に渡って建設された壮麗な宮殿と庭園は、バロック美術の代表とされています。

ルイ14世は、長い建設期間に莫大な費用と人員をかけ、水源のなかった土地にわざわざセーヌ川から水を引き、1682年には宮廷と政府の機能をヴェルサイユに移したことで、財力、自然、政治すべてを支配する王の権力を国内外に示しました。ヴェルサイユ宮殿は、まさに「朕は国家なり」と称したルイ14世による絶対王政の象徴なのです。

チケットを購入して宮殿内へ

フランスを代表する人気の観光スポットでもあるヴェルサイユ宮殿には、平日もたくさんの人が訪れていました。まずは、チケットを購入するため、長蛇の列に並びます。

30分ぐらい並んで、ようやくチケット売り場へ。トリアノンの見学も含まれた大人パスポートを20ユーロで購入しました。日本語対応しているオーディオガイド付きです。

チケットを購入して、建物内に入るのにも長蛇の列ができていました。でも、間近で感じられる美しい建物に囲まれた空間は、飽きることはありません。

■王室礼拝堂(Chapels of Versailles)

入口から階段を上って、最初に目にするのは、結婚式やミサが行われていた王室礼拝堂です。祭壇の上にある豪壮なパイプオルガンが目を引きます。ルイ16世と当時14歳だったマリー・アントワネットの結婚式もこの礼拝堂で執り行われました。ちなみに、マリーのオーストリア名はマリア・アントニア。婚礼後、マリー・アントワネットと呼ばれるようになりました。

豪華な天井絵は、フランス古典主義とロココ美術初期の境界期に活躍したアントワーヌ・コワペル作『世界の贖罪の約束をもたらす栄光の中の神』。ドームの内側に描かれた絵画は、正面から見ると平面に見える高度な技法で描かれています。

■廊下

美しいシャンデリアが続く長い廊下には、著名な政治家、聖職者、科学者、文学者などの大理石像が並びます。細部まで精巧に造られた像は完成度が高く、廊下を歩いているだけでヴェルサイユ宮殿の壮麗さが伝わってきました。

■マルスの間(Mars Drawing Room)

当初は衛兵の控えの間として使用されていましたが、後に夜会や音楽会を行う場となりました。天井にはローマ神話における戦と農耕の神マルスの勇姿が描かれています。

それにしても、どこへ移動しても、とにかく人がいっぱい…。前回訪れたときは冬だったので、かなりゆっくり回れたのですが、過ごしやすい季節だと仕方ないですね。ヴェルサイユ宮殿の人気を感じます。

■鏡の間(Hall of Mirrors/Galerie des Glaces)

宮殿で最大の見どころのひとつである鏡の間は、長さ73m、幅10m、高さ12.3mという王の正殿と王妃の居殿を繋ぐ回廊です。庭園を臨んだアーチ型の大きな窓が17ヶ所、窓の反対側には17ヶ所それぞれ21枚、計357枚の鏡がはめ込まれています。17世紀頃、鏡はとても高価で貴重なものだったので、その数からも多大な金額が費やされたことが分かります。

大きな窓から取り入れられた光が一面の鏡に反射して、豪華なシャンデリアが輝いて、現実との世界とは思えないような眩いばかりの空間です。この鏡の間は、マンサールによって設計され、壮大な天井絵はル・ブランが手がけました。

ルイ16世とマリーの婚礼舞踏会をはじめ、祝宴や盛大な儀式が催され、外国の賓客との謁見の場として使われていました。その後も公式行事に使用されましたが、普仏戦争でフランスが敗北すると、1871年、この鏡の間でドイツ帝国皇帝の戴冠式が挙行されました。この屈辱に対して、第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、1919年、同じ鏡の間でヴェルサイユ条約の調印式を行ったのです。ただ美しいだけではない歴史が、この鏡の間にはありました。

■王妃の寝室(Queen’s bedchamber)

もともとルイ14世の王妃マリー・テレーズのためにつくられた部屋でしたが、歴代3人の王妃が使用しました。現在公開されているのはマリー・アントワネットの頃の装飾を復元したものです。豪華さの中にピンクの花柄が可愛らしくて、とってもマリーっぽい。

■大会食の間(Antechamber of the Grand Couvert)

王と王妃が公式の食事をした大会食の間。普段、マリー・アントワネットと3人の子どもたちが描かれた有名な肖像画が飾られている場所には、マリーひとりの肖像画でした。どこかに貸出中だったかもしれませんね。

当時のテーブルが再現されていました。

■戦史の回廊(Gallery of Battles)

長さ120m、幅13mの大規模なギャラリーは、まるで美術館のようです。フランス戦史を美化することを意図として、ルイ=フィリップの命によって建築されました。クローヴィス1世が勝利したトルビアックの戦い(496-498年)から、皇帝ナポレオン1世が率いたヴァグラムの戦い(1809年)までを描いた118点の絵画や彫刻が展示されています。

宮殿内の見学を終えると、マリー・アントワネットが最も愛したという場所「プチ・トリアノン」を訪れました。戻ってきてから、宮殿の裏側に広がる庭園へと向かいましたが、雨が降ってしまい、外に出られない状態に…。少し待ってから、雨が弱まったタイミングで庭園に出てみました。すると、ふと空に虹が架かったのです。目に映ったのは、ほんの一瞬でした。

■庭園(Gardens of Versailles)

100㎡以上という広大な敷地の庭園は、「王者の庭師」・「庭園の王」とも呼ばれた天才造園家ル・ノートルが設計を行いました。完成まで1661年から1700年の約40年という長い年月に渡り、宮殿の建設よりも多くの労力と人員が費やされました。

平坦で広大な敷地に軸線を設定した左右対称性、幾何学的な池の配置や植栽の人工的な整形などを特徴としたフランス式庭園(平面幾何学式庭園)の様式を完成させた人物こそがル・ノートルであり、このヴェルサイユ宮殿の庭園はフランス式庭園の最高峰とされています。

おとぎの国のお庭みたいです。メルヘンに溢れています。

めずらしいスフィンクスとキューピッドの像。ギザの大スフィンクスとは違って、ギリシャ神話に登場するような美しい女性の顔を持つスフィンクスです。

何度も訪れたいヴェルサイユ宮殿の魅力

今回、ヴェルサイユを訪れるのは2回目でしたが、何度訪れても豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿と庭園には感嘆してしまいます。また、それと対峙するようなプチ・トリアノンでは、光と影を背負った本当のマリー・アントワネットの姿に触れられて、あらためてマリーというカリスマ的な存在に魅了されてしまいました。またいつか訪れることができますように。

Château de Versailles(オフィシャルサイト)
「プチ・トリアノン」ヴェルサイユ宮殿の庭園にある王妃マリー・アントワネットが愛した離宮

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