パリの中心部を流れるセーヌ川の中州、“パリ発祥の地”とも称されるシテ島にある「ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris)」。「パリのセーヌ河岸(Paris, Banks of the Seine)」という名称で世界遺産に登録されている文化遺産のひとつです。
「ノートルダム」とはフランス語で「私たちの貴婦人」という意味で、それは「聖母マリア」を指すものです。そのため、マリアに捧げられた聖堂につけられる名称として、世界各地に「ノートルダム」の名を冠した教会が存在しています。かつてフランス領だった南インドの都市ポンディシェリにも、パリのノートルダム大聖堂をモデルにした「Eglise de Notre Dame des Anges」という教会がありました。
聖堂は1163年に着工、約200年後の1345年に完成しました。荘厳に聳える双塔、気高く真っすぐに伸びる尖塔、空中にアーチを架けるフライング・バットレス、バラ窓の美しいステンドグラスは、初期ゴシック建築の最高傑作と言われています。
1789年のフランス革命以降、自由思想を信奉する市民は宗教を批判し、他の教会同様にノートルダム大聖堂を襲撃します。『理性の神殿』とみなされた聖堂は、破壊や略奪が続けられた結果、廃墟と化してしまいました。
19世紀になると、フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立したナポレオン・ボナパルトは大聖堂を復活させるべきだと考えます。1804年、自身の戴冠式をノートルダム大聖堂で行いました。この戴冠式の様子は、ルーブル美術館に収蔵されているジャック=ルイ・ダヴィッド作『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』に描かれています。
その後、1831年にヴィクトル・ユゴーがノートルダム大聖堂を舞台とした小説『ノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)』(邦題「ノートルダムのせむし男」)を発表すると、フランス国民全体に大聖堂復興の動きが強まり、1843年、ついに政府は聖堂を修復することを決定しました。
修復者はゴシック建築の最高傑作といわれたノートルダム大聖堂を想定して、その完全なる復元に努めました。修復開始から約20年後、完了したのは1864年のことです。再びセーヌ川のほとりに、パリの街を優しく見守る聖母マリアの姿が復活したのですね。
聖堂内への入場は無料ですが、有料で塔に登ることができます。今回は偶然にも「ヨーロッパ文化遺産の日」だったので、入場無料でした!かなり並びましたけどね…。グルグルと387段の螺旋階段を上っていくと、表情豊かなガーゴイルたちの姿も間近に見ることができます。
そして、一番見てみたかったのは「鐘」です。ユゴーの小説を原作としたディズニーの長編アニメーション映画『ノートルダムの鐘』で一躍有名になりました。主人公のカジモドが鳴らした南塔にある大鐘「エマニュエル」を見学することができます。
母と一緒だったので、長く続く螺旋階段を上り下りするのは少し大変そうでしたが、塔からはパリの素晴らしい眺望を楽しむことができました。セーヌ川とエッフェル塔の景色。
パリで一番高い丘、モンマルトルも遠くに望めます。
パリの中心部でフランスの激動の歴史とともに歩んできたノートルダム大聖堂。聖母マリアに捧げられた聖堂は、穏やかで優美な姿でパリの街を見守るように聳えていました。
・Our Lady of Paris – Notre Dame de Paris(オフィシャルサイト)