[my note] おばあちゃんの贈りもの

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日本を出発してから2ヶ月半が過ぎた9月末、母がパリまで遊びに来ました。わずかな期間ではあったけれど、日本を離れてから、人生のこと、命のこと、家族のこと、愛のこと、たくさんのことを考えながら旅を続けきて、久しぶりに母の顔を見ることができるありがたさに、心が温かくなりました。

5日間をパリで一緒に過ごし、母の帰国前日、ヴェルサイユ宮殿を訪れました。宮殿内の見学を終えて庭園に出ようとしたとき、雨が降ってきたので、少しの間、雨が止むのを待つことにしました。雨が弱まってきた頃を見計らって、庭園に出るてみると、スッと雨が上がって、空に虹が架かりました。母と私は突然の虹に興奮して、写真を撮ろうと1枚、2枚とシャッターを切りました。すると、ほんのわずかな時間で虹は姿を隠しました。庭園にはたくさんの観光客もいた中で、誰もその虹に気づいていない様子も不思議で、あまりにも突然に現れ、恥ずかしそうに姿を隠した虹に母と私は心を奪われたまま、庭園を散策しました。

その夜、ホテルに戻ると、母の携帯に日本から着信がありました。祖母が息を引き取ったという連絡です。この旅に出発する前、母から、もしものことがあるかもしれないから…と言われて、山形に住んでいる大好きな祖母に会いに行きました。今思うと、このとき、会いに行って良かったのか、わかりません。最後に「また来いの。」と力強く手を握りながら言ってくれた祖母の声が思い出されました。

翌日のフライトをJALに問い合わせると、「一席だけ空席があります。」という奇跡に感謝しながら、母と一緒に帰国の準備をしました。母が日本から持って来てくれた秋冬の洋服や重たいシャンプーなどの洗面用具もすべて一緒に持ち帰ることになり、祖母が仕掛けたいたずらに、母と2人で笑いました。夕方のフライトだったので、午前中はサクレ・クール寺院に行くことにしました。パリで一番空に近い教会です。サクレ・クール寺院は、寺院内の撮影ができない施設で、観光の色も強くなく、穏やかで静かで厳かな空気が流れていました。ひととおり拝観をした後、少しの間、後方の椅子に腰をかけました。祖母が亡くなったことを想い、涙が流れました。そろそろ行こうかと立ち上がった母の目にも、同じように涙が溢れていました。

帰国すると、大きな荷物を抱えた母と私を、父が空港まで迎えに来てくました。2ヶ月ぶりに再会する父の顔を見て安堵し、父もまた母と私が無事に帰国したことで、安心したように笑顔を見せてくれました。

パリから帰国した翌日には、兄夫婦とも再会して、一緒に山形へ向かい、翌日の葬儀に参列しました。20数年前、祖父の葬儀のときに泣き崩れていた母の姿をずっと覚えていて、そして、以前、母が「おばあちゃんがいなくなったら、どうにかなってしまうかもしれない。」と言っていた言葉を胸に留めたまま、火葬のときを迎えました。すると、隣にいた兄から「お母さんの側に行こう」と声をかけられました。ずっと同じ記憶を持っていた兄との絆も再確認したかのようでした。母の側に行くと「おばあちゃんは幸せだったから、大丈夫。」そう言って、泣きながらも笑顔を見せてくれたので、胸を撫で下ろしました。泣き崩れた顔をしていたのは私でした。

祖母が亡くなるという悲しいきっかけではあるけれど、数年ぶりに大家族が一同に祖母のもとに集まりました。子どもの頃、毎年、夏休みや冬休みになると、祖母が暮らす山形へ行きました。母には兄が2人いて、それぞれ子どもが2人。同世代ながらも年齢が異なる従兄妹6人、いつも賑やかに連んでいろんな場所に出かけていました。このとき、兄は私の兄ではなく、従兄妹6人の長男となり、私は上から3番目、従兄妹同士で大人数の兄妹のようになり、それぞれに役割があるようでした。当時を振り返れば、小さなコミュニティの中で、幼いながらに大切なことを学んでいたのだと思います。今では、一番小さかった従兄弟も立派な大人になって、子どもがいる従姉妹もいれば、未だ独身も(私を筆頭に…)。従姉妹の子ども同士が遊ぶ姿に、懐かしい記憶が蘇り、胸いっぱいになりました。当時は特別とも思わなかった祖母のもとに集まった大きな家族の幸せは、かけがえのない祖母からの贈りものだったのです。

2011年3月11日、日本中が大きな悲しみに包まれた東日本大震災が起きたその翌々月、5月の連休は祖母に会うために山形を訪れて、祖父のお墓参りをしました。そして、東京へ帰るとき、駅まで見送りに来てくれた祖母が目に涙を浮かべながら言ってくれました。

「今が一番幸せだよ。おばあちゃんは幸せだよ。」

戦争の時代を生きた祖母は、私には想像もつかないような苦労があったと聞いています。苦労を知っているだから人こそ、ありふれた日常にある幸せに喜びを感じながら、祖母のように他人に優しくなれるのだと思います。「おばあちゃんは幸せだったから」と母が言うように、確かに今は一人で暮らすご高齢者も多い中、大家族に看取られるというのは、幸せな最期だったのかもしれません。人はどう生きて、どう死んでいくのか。幸せとは何か。どこかで何かの気づきがあったとしても、それはほんの一部で、きっと最期のときを迎えるまで、問い続けていくのだと思います。今できることは、祖母からの贈りものに感謝して、日々の瞬間を丁寧に生きていくこと。祖母が大切にしていたものを引き継いで大切にしていくこと。

おばあちゃん、たくさんの幸せをありがとう。

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