[my note] 永平寺 参禅体験を終えて

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4年越しの想いをもって参加させていただいた、永平寺の参禅体験。4年もの歳月がかかったのは、勝手な自己都合でしたが、そのままでは終われなかった出会うべきご縁であったと、これも勝手ながらに思っています。

参禅体験に参加するまでのこと、実際に体験させていただいた内容とその率直な感想、永平寺のご紹介については、これまで体験談に書いてきました。
【永平寺 参禅体験】其の壱「参禅申込から永平寺到着まで」
【永平寺 参禅体験】其の弐「曹洞宗大本山 永平寺」
【永平寺 参禅体験】其の参「3泊4日参禅ざっくりスケジュール」
【永平寺 参禅体験】其の四「永平寺ダム散策」
【永平寺 参禅体験】其の五「境内を拝観させていただきました」

こちらには、もう少し個人的な話や感じたことをノートしておきたいと思います。

はじめに、もっとも基本的なことですが、今回の参禅研修では、曹洞宗における「正しい坐禅」について学びました。まず、「坐禅をするときは、目は閉じません」と教えていただいたことに驚きます。目を閉じることは、現世との繋がりを遮断することになるからだそうです。付け加えるように、「目を閉じると、眠くなりますから」とおっしゃられたことには、とても人間らしいなと微笑ましく思いました。とはいえ、ぱっちりと目を開いているのではなく、少し斜め下に目線を落とします。また、手を組むときは、膝の上で右手に左手を重ねて、左右の親指を合わせて、輪を作るようにしますが(仏像の坐像をイメージしていただいて)、この形は「法界定印(ほっかいじょういん)」といって、全宇宙、全世界を一体とするという意味があるのだそうです。そのため、坐禅中は綺麗な楕円を描くように指導されますし、その意味合いを知ったことで、できるだけ美しく保とうと心がけるようになりました。

そして、坐禅は、調身・調息・調心、この3つを連動させるものと学びました。調身は、先に書いたとおり、足や手の組み方、視線など正しい姿勢をとることで、調息は、息が長い人、短い人、それぞれであるが故に各自に任せて、息をそのまま念とするもの。そして、調心は、調身・調息が整うと、自然と調心がなされていく、すなわち心が調うというものです。日常生活においては、自己を省みながら、心を調える時間をどのようにつくることができるか、考えることを学ばせていただきました。

一回の坐禅、基本的な時間は40分で、これは「一炷(いっちゅう)」といって、およそ線香1本が燃える時間なのだそうです。最初は「40分もじっとしていられるだろうか…」とか「身体は耐えられるだろうか…」とか、恥ずかしながら、そんなことを考えていましたが、実際に坐禅をしてみると、あっという間に感じました。ただひたすら自己を反省するための時間であり、そのために用意された空間にいられることは、ものすごく贅沢な時間に思えてなりませんでした。今回、人生で初めて坐禅を体験させていただいて、そこには初めて経験するかのような穏やかな時間が流れていました。

時間の大切さなど、面と向かって考えたことがない年齢から、「時間は大切」という言葉を何度も耳にしてきて、いつからか、そう思えるようにまでは成長しました。振り返ると、学生から社会人になる20代までは、時間いっぱい体力任せな日々を送り、30代になったとき、少しは余裕がある大人になりたいなんて考えていましたが、止まってしまうことの方が怖くて、時間に追われるように過ごしていました。結果、すべてが大切な時間となったことに相違ないですが、どこかで心が張り詰めていたように思います。責任を問われる年齢にもなりながら、心身には余裕がないまま、自分中心になることや仕事でもミスをすることが、多々ありました。「時間は大切」だけれど、「大切の仕方」を、今さらながら学びはじめています。

また、曹洞宗では、生活すべてが修行であるとする教えから、特に「食」を大切にしています。その教えからも、様々なことを学ばせていただきました。

参禅体験のはじめに、食作法の指導を受けますが、3泊4日のスケジュールに書いたとおり、まずは覚える作法の多さに、必死になります。ひとつひとつの作法については、ぜひ参禅体験に参加して体感していただければと思いますが、すべての作法ににおいて意味を持っていることを理解し、それに対して心を込めながら、自然と身体が動くようになると、とても美しい所作になるだろうなと思いました。

実際にいただく食事は精進料理ですが、肉類が禁止ということではなく、いただくすべてのものは、私たち人間と同じ命であるという教えをいただきました。(「粥有十利(しょうゆうじり)」=お粥には身体に良い利点があり、より一層仏道に励むことができる、「三徳六味(さんてるみ)」=食物は3つの徳と6つの味を備えてなければならない、など色々な教えから、結果、精進料理になるのかなと思いましたが、確かめていません…)

自分は同じ命をいただけるだけの行いをしたか、何か足りなかったことはなかったか、そうしたことを考えながら食事をしなければならないと。「meg、アウトー」です。酔っ払いながら食事をするなんて、以ての外でしょう…。生きていくうえで欠かせない「食」の度に、尊い命をいただいて、あらゆるものに生かされていることを認識しなければならないと学ばせていただきました。

食の教えに関連して、永平寺正門の柱に記されている言葉、「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」「汲流千億人(ながれをくむせんおくにん)」についても教えをいただきました。これは、道元禅師の教えを受けて、73世熊沢泰禅禅師の五言詩の後ろ2句を引用したもので、「一杓の水でも元の川に流れることによって、多くの人々が恩恵にあずかる」という意味を持っています。目の前にたくさんあるものは当たり前に存在するような感覚になってしまい、残り僅かになったときに、初めてその大切さに気づくことが少なからずあるのではないかと、自己を省みました。たくさんあるものを大切にしてこそ、少ないものさえ大切にできる、という貴重な教えです。

しかしながら、食作法では、食事中は音を立ててはいけないとご指導いただくので、当然ながら、しーんとしています。やっぱり食事をしていて、美味しいと思ったら「美味しい!」って言いたいし、あらゆるもの生かされていることに感謝しながらも、食事の席では楽しく笑っていたいなあと思ったり。こればっかりは…と思ってしまいました。ごめんなさい。

坐禅や食作法、参禅中の生活そのものが「修行」であるという教えをいただきましたが、職人さんの世界にも「修行」の時期があるように、それに限らず、人は生きていること自体が人生の修行であって、本気で生きようとするならば、仏門の修行に負けず劣らず、凄まじく大変なものではないかと思います。そして、本気で生きていたら、「論語」にある孔子が曰くされたように、これから40代、50代、60代と年を重ねていくと、少しずつ大人に近づいていくことができるのかなと、僭越ながら若輩者は考えたりしています。

また、修行の目的に限ったことではありませんが、「自分を見つめ直す」という言葉を耳にすることがあります。なんとなく伝わるものはありますが、私自身はその言葉を使ったことがありませんでした。「自分を見つめ直す」とは、具体的に何をすることかよく分からなかったからです。それが、今回の参禅体験を通じて、「自分を見つめ直す」ということを、ふと考えるようになりました。

下記は、禅の講義で教えていただいた道元禅師の「正法眼蔵 現成公案の巻」の引用です。

仏道をならうというは、自己をならうなり。
自己をならうというは、自己をわするるなり。
自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

【現代語訳】※()は私のメモ
仏道を習うということは、自己を習うのである。(自分を明らかにしていく)
自己を習うというのは、自己を忘れるのである。(自分中心の気持ちを乗り越えていく)
自己を忘れるというのは、万法(あらゆる存在)に証(さと)らされるのである。(いかにあらゆるものに生かされているかを知る)
万法に証らされるというのは、自己の身と心、そして他人の身と心がなくなってしまうのである。(自分と他人の隔たりをなくす)

高校生の頃、「無知の知」というソクラテスの言葉を学んで、妙に納得したことを思い出しました。「自らの無知を自覚することが、真の認識に至る道である」という考え方です(その後、「ソクラテスの弁明」を読んでから、少し解釈が変わったことを弁明します)。ある分野でどれだけ自分が長けていると思っていても、自らの力量(無知)を知ることで、さらに長けている人の存在を考えることができて、現状の自分自身も超えることができます。

そして、得た知識や技術は、一人で成し遂げられたものではなく、他者のおかげに成り立つものであって、いかに還元するかを考えることが必要だと思いました。「あらゆるものに生かされている」という「食」の教えにも通じるところがありますが、現状の知識や技術に傲慢になってしまったら、そこで成長は止まってしまいます。でも、他者に還元しようとすれば、さらに深めようという意欲が湧いて、自分の成長にも繋がります。この一連の行いが、道元禅師の言葉「自分と他人の隔たりをなくす」ということかなと解釈しました。

「自分を見つめ直す」とは、「自分の力量を知ること」であり、その置かれている立場や役割(例えば、学問に励むこと、職場で成果を出すこと、家庭でご飯を作ること、何でも!)に優劣はなく、世の中のため、人のためになる「自分の役割を考えること」が、「自分を見つめ直す」という「人生の過程の作業」なのかなと思いました。そうした私なりの解釈で、これからは、「自分を見つめ直す」という言葉を使っていけそうです。

今回、参禅体験に参加させていただいて、ルーティンのある生活をしている中で、特に一回一回の坐禅については、同じ40分でも過ぎていく時間への感覚が違いました。寝不足過ぎて、坐禅をやめたくなるほど眠かったときは、どうしようかと思いましたが、当たり前ながら、この程度のことは乗り越えていけるものだなと納得しました。年齢とともに「我慢」を学んできているのだなと。では、これからは何を学ばなくてはならないのかと考えました。

時間の感覚の違いが生じるのは、心身が一定ではない状態だから、つまり「調心」が成されていないからだと思いました。寝不足は、ものすごく分かりやすい例として、日常生活の過ごし方は、心身のあり方ひとつで変わってきてしまいます。私自身も感情の振れ幅が大きいと思うところがありますが、「調心」がなされていれば、そうした喜怒哀楽さえも、大きく舞い上がることなく、大きく落ち込むこともなく、地に足を付けて、人生を歩めるのかもしれません。

あらゆるものに生かされていることを「常に認識している状態」で、自分の役割を「常に問いかけている状態」が継続されると、「常に調心が成されている状態」でいられる、これが次のステップになるのかなと思いました。ステップといっても、とても究極ですが。そのために、これから人生の経験を重ねながら、ときには日常生活において、初心に帰ることを忘れずに学ばせていただいた坐禅を取り入れて、自分を見つめ直すことができればと思っています。

以上、長々と失礼しました。まさに[my note]として、ここに書かせていただくことで、ようやく私自身の頭の中も整理することができたように思います。そして、何年後かにこれを読んだとき、「若輩者よ…」と微笑んだりするのかなと、それも楽しみであります。

最後に、素晴らしい参禅体験をさせていただいた大本山永平寺に、ご指導いただいた布教部部長様、雲水様方々に、道元禅師から受け継がれた歴代禅師様に、一緒に参禅体験に参加された皆様に、ありとあらゆるものに、御礼と感謝を申し上げます。

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コメント

  1. a より:

    永平寺に行ってみたいです
    40歳女性でも大丈夫そうですか?
    覚えが悪いと怒られたりするのでしょうか?

    • meg より:

      こんばんは。
      私が参加したときは、60代の女性、ご年配の男性もいらっしゃいました。
      でも、20代の方でも体調を崩されていたので、一概に大丈夫とは言えないですが、
      参禅の生活リズムに慣れれば、素晴らしい体験ができると思います。
      ただ、冬の寒い時期ではなかったので、季節で感覚は違うかもしれませんね。
      怒られることはありません。いつも優しくご指導いただきました。
      ぜひ行ってみたいと思われたお気持ちを大事にしていただければと思います:)

  2. ゆもじ より:

    はじめまして、こんにちは。この参禅記を7月初旬に拝見させて頂き、非常に興味を持ちました。  早速、申し込みをしました。電話予約開始当日に渾身の気合を入れて、通話に持ち込むまで、25回程掛け直しました。予約が取れ、往復はがきが手元に届き、いよいよ平成28年の9月の参禅に参加する事となりました。
    私は、「無我になって坐りきる事が出来るのだろうか?」
    嬉しい反面、とても緊張しています。 最後に一つ質問が有ります。
    掃除や作務の際、どのような衣服を付けられていましたか?
    作務衣などはおこがましいでしょうか?ジャージなどを着用の方が無難でしょうか?
    よろしければ、ご教示下さい。お願いします。

    • meg より:

      はじめまして、こんにちは。コメントをいただいて、どうもありがとうございます。
      参禅申し込みの最初のお電話、とても緊張しましたよね。私も同じでした。
      ご質問の衣服ですが、私が参加したときは、貸していただいた作務衣と袴を着衣して、座禅や作務に当たりました。掃除も同様だったと記憶しています。なので、中に着るTシャツや靴下、就寝や散策時の衣服があれば大丈夫だと思います。もしご不安でしたら、雲水さんはとても優しい方々でしたので、気負わずにお電話で確認されてもいいかもしれませんね。
      座禅だけではなく、永平寺での生活すべてを通じて、気づきのある素晴らしい体験となることをお祈りしています。くれぐれも体調には気をつけて、いってらしてください。

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