ミャンマー秘境の仏教聖地「バガン遺跡」とは?

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バガン(Bagan)は、ミャンマーのマンダレー地方域にある地名で、旧名はパガン。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されているミャンマー屈指の仏教聖地です。

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広い平原に、3,000を超える大小さまざまなパゴダ(仏塔)や寺院が林立するバガン。そのほとんどは、11世紀から13世紀のパガン王朝時代に建てられたもので、ビルマ芸術の頂点とも言われています。

バガンは、ビルマ族最初の統一王朝であるパガン王朝の都でした。西暦874年頃、ビルマ族はパガンの地に都を築き、先住していたピュー族から農耕技術を学び、彼らとの接触によって仏教を知ったと考えられています。「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものという説も。

現存する出土品から実在が確認されている最初の王、アノーヤター(1044-1077年)は、上座部仏教の国教化を進めました。その後、12世紀から13世紀には、上座部仏教の盛んなスリランカやインド、カンボジアのアンコール朝やタイから仏僧や学生を引きつけるなど、パガンは仏教研究の国際的な中心地となりました。

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当時、王侯貴族などの富裕層は、来世の幸福を願って功徳を積むため、パゴダや寺院への寄進を盛んに行いました。しかし、多くのパゴダや寺院を建立したのは、王侯貴族や権力者だけでなく、ごく一般の民衆が持てる財産をなげうって築きあげたという事実が明らかになっているのだそうです。

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「功徳」とは、善い行い、世の中や人のためになる行為のことで、ミャンマーでは、現世でより多くの功徳を積むことが、より幸福な来世になると信じられています。そして、「人生最大の功徳」として、王侯貴族は巨大なパゴダや寺院を建立しましたが、そのために働いた庶民に対価を与えることもまた功徳であるとして、富を振り分けました。すると、庶民の中にも富を蓄える人が現れ、今度は自らが功徳を積むため、その富をパコダや寺院の建立に投じていったのではないかと考えられています。

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日本も例外ではなく、世界各国では、国王や権力者に富が集中して、一般の民衆には労働や税が課せられ、多くの国民が苦しい生活を強いられていた時代。バガンの地では功徳を積むという信仰のもと、パコダや寺院を建立することで、富が社会に還元され、貧富の格差が生まれにくい豊かな社会か築かれていたという歴史が、このバガン遺跡に現れています。

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「遺跡」とは称されても、現在も尚、ミャンマー各地から人々が祈りを捧げるためにパコダや寺院を訪れています。古から現代まで受け継がれてきた歴史と信仰を感じながら、バガン遺跡を巡ることができれば、生き続けるミャンマーの人々の祈りや想いにより近づくことができるかもしれませんね。

バガン(Wikipedia)

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