ロンドンでは、中学・高校時代から20年来の友人とそのお子ちゃまと3人で過ごしました。私がこの旅をはじめる頃、ちょうど彼女も旦那さまのお仕事の都合でロンドンに転居して、今回は旦那さまが出張のタイミングでお世話になりました。日本を出発して、フィリピン留学からアジアの旅はわずか3ヶ月でしたが、久しぶりに懐かしい温かさに出会えて、とても大切な時間を過ごすことができたと振り返ります。
日本を出発してから帰国するまで、私にはいつも励ましてくれる人たちの存在がありました。ロンドンに住む彼女を含めた中学・高校時代の同級生のLINEグループはそのひとつで、卒業以来、当然LINEがなかった時代からお互いの近況を報告したり、年に数回は全員で集合したり、特別な仲間たちです。この旅の途中にも、結婚や出産など嬉しい報告があったり、いつも近くに感じられることがとても心強くて、励ましてもらっているようでした。
社会に出ると、学生だった当時の世界は狭かったように感じますが、だからこそ、真っ直ぐに一生懸命できたこともあったように思います。大人になれば体裁などを考えてしまいがちな対人関係も、真正面からぶつかって、傷ついたりしながら、また戻ることができて、そうして積み重ねてきた日々は、大人になった今、かけがえのないものだったと気がつくことができます。そして、一日一日を懸命に生きることの大切さを、今でも教えてくれています。
バンコクでのmy note「ご縁に生かされている」ということ」に書きましたが、
どの出会い一つ欠けても、今の私にはならず、なくてはならかなった出会いの積み重ねが、私の人生となって、ご縁に生かされていることへの感謝が尽きません。
ご縁で出会ったのか、出会いがご縁となったのか、中学・高校をともに過ごした友人と海外で出会う不思議さと嬉しさで胸がいっぱいでした。
「出会い」というと、それが「はじまり」となるイメージがありますが、お互いにずっと知り合っていたようだけれど、すっかりママになった友人の表情を見ていたら、新しい出会いに恵まれたようで、「はじめまして」だけが出会いのカタチではないことを感じました。家族でも友人でも、長い関係だからこそ、あらためてお互いに向き合って知ろうとすることで、より深く理解することができたり、自分自身の気づきとなったり、変わらないままの関係を大切にしながら、より豊かな関係を築くことができるように思います。
友人親子に見送られながらお別れすると、ロンドンで一緒に過ごした3日間の実感と感動がゆっくり込み上げてきて、駅に向かうタクシー、チェルトナムへ向かう電車、過ぎていく景色に心が温かくなったり、切なくなったり…。コルカタで家族の愛を憶えて、次に訪れたロンドンでは母と子を繋ぐ愛が胸に刻まれて、再び、一人旅をスタートしたのでした。