コルカタの次に訪れた南インドの都市「ポンディシェリ(Pondicherry)/プドゥチェリー(Puducherry)」は、チェンナイから約160Km南下した東海岸に位置しています。インド特有の熱気や喧騒を忘れてしまいそうな穏やかな空気が流れていて、海岸からはベンガル湾を一望することができます。
インドと言うと、かつてはイギリスの植民地というイメージでしたが、フランスやポルトガルも飛び地的に小さな植民地を持っていたことを知りました。その一つがポンディシェリで、17世紀から18世紀にかけて仏領インドの首府とされていました。
旧フランス人居住区にある「プロムナード(Promenade)」と呼ばれる遊歩道沿いには、第一次世界大戦でフランスのために命を落とした戦死者の記念碑があります。
第二次世界大戦後、1947年にインドが独立すると、ガンジーが行った非暴力の反英大行進にあやかって、残るフランスとポルトガルの植民地の返還を求める運動が繰り返されました。フランスは植民地の行政権は保持しようとしましたが、インド人による占拠が拡大されたことで、1954年、仏領はインドに返還されることとなりました。
第一次世界大戦の記念碑から歩いてすぐ、プロムナードの海岸沿いには、ベンガル湾を背にした立派なガンジー像が聳えています。
現在も仏領時代の「ポンディシェリ(Pondichéry)」と呼ばれることが多くありますが、2006年、元来のタミル語の「プドゥチェリー(Puducherry)」を正式な都市名とすることが決定されています。
プロムナード沿いの海岸から、ベンガル湾を一望できる雄大な眺め。
でも、こちらの海岸、日中はほどんど人の姿がありません。この素晴らしい景色を独り占めできるところですが、誰もが手放したくなる理由は明快でした。
暑すぎです。これまで滞在していたコルカタから約1,800km南下しているだけあって、同じインドでも日中の暑さは比にならないほどでした。
唯一、海岸で出会った2人の男子高生。制服姿で、地元に住んでいるのかは謎でしたが、一緒に写真を撮って欲しいとお願いされた後、せっかくなので2人を撮りました。
翌朝、ベンガル湾で日の出を見ようと、夜明け前に外出したところ、まだ月も出ているその時間こそが、ポンディシェリの皆さんの活動タイムでした。
日中はまったく人がいなかった海岸に、日の出とともにエクセサイズしたり、お散歩したり、談話したり、歯磨きしたり、たくさんの人の姿がありました。
海岸だけではなく、公園でもバドミントンしていたり、朝の時間帯は皆さん活動的です。
緑の多い公園は、日中は避暑地として憩いの場になっていました。
ポンディシェリの街を歩いていると、その歴史背景からフランス色が漂うコロニアルな景色に出会います。そうした景観から観光産業にも力を入れているそうです。
街中に入ると、インドらしい熱気も感じられますが、大都市のデリーやコルカタとは少し違った空気が漂っているようでした。
再びプロムナードの海岸沿いは、朝の時間に続いて、暑さが和らぐ日の入りから夜にかけて、たくさんの人が集まってきて賑やかになります。
ガンジーさんの周りも人がたくさん。子どもたちの遊び場となっていました。
これまで、デリー、アグラ、バラナシ、コルカタというインドの都市を訪れてきて、その独特さは誰にでも楽しめるとは言い難いところがありましたが、ポンディシェリの街は、両親もインドに連れてこられるのではないかと思わせてくれました。(と実際に話してみたら、「インドは行かなくていいかな。」と保守的な回答…)
また新しいインドの魅力に出会えて、もっともっと違う街にも訪れてみたくなりました。続いて、ポンディシェリの観光スポットやレストランなどもご紹介していきます。