ベルギー北部の街、アントワープの中心地にある「ルーベンスの家(Rubenshuis/The Rubens House)」。バロック時代の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)が家族と暮らした邸宅と数々の名作を生み出したアトリエが、現在は美術館として一般公開されています。
アントワープ中央駅からルーベンスの家へ
ベルギー観光の拠点としていたブリュッセルから北へおよそ50km、アントワープへ向かいます。ベルギー国鉄(NMBS/SNCB)を利用して、ブリュッセル中央駅からアントワープ中央駅までの平均所要時間は50分前後。アントワープ中央駅からルーベンスの家までは、およそ1km、徒歩12〜13分ぐらいで到着します。
Google mapで検索すると、道の途中にあるテニールス広場(Teniersplaats)を回避した道順が表示されましたが、アントワープ中央駅前のドゥ・ケイゼルレイ通り(De Keyserlei)からレイス通り(Leysstraat)までは真っ直ぐに進んでいくことができます。
テニールス広場まで歩いたところで振り返ってみると、“鉄道の大聖堂”と称される美しいアントワープ中央駅の駅舎のドーム部分までを眺められました。
ドゥ・ケイゼルレイ通りとレイス通りの中間にあるテニールス広場には、バロック様式の建物を背景に、広場の名前の由来となっているアントワープ生まれの画家ダフィット・テニールス(子)(David Teniers the Younger)の像が聳えています。
同じ名前の父親ダフィット・テニールス(父)(David Teniers the Elder)も画家としてアントワープで活躍しました。さらに同じ名前を継いだ息子ダフィット・テニールス3世(David Teniers Ⅲ)もまた画家になったそうな。誰の作品か混同してしまいそうですが、日本でも名前を襲名していく歌舞伎や落語などの伝統芸能の世界も同じだなぁと思ったり…。
テニールス広場からレイス通りを歩いて、続く賑やかなショッピング街となっているメール通り(Meir)を進んでいきます。そして、メール通りとワッパー通り(Wapper)が交差している噴水がある広場にインフォメーションがあるので、それに従って左折するといよいよルーベンスの家に到着です。
チケットを購入しよう!
ルーベンスの家の向かいにある近代的なガラス張りの建物が、チケットカウンターとミュージアムショップになっていて、荷物を預けることができるロッカーもあります。入場料は大人(26-65歳)8ユーロでしたが、カウンターで「ここまで電車で来ましたか?」と聞かれたので、ユーレイルパスを提示すると、2ユーロも割引してくれました♪
ピーテル・パウル・ルーベンスの生涯とルーベンスの家
1577年、ドイツのジーゲンで生まれたピーテル・パウル・ルーベンス。両親はプロテスタント迫害のため、アントワープからドイツへと逃れてきた夫婦でした。父の死後、一家で故郷のアントワープへ戻ると、ルーベンスは最初期の修行として、先人たちの作品を模倣・模写しました。アントワープでの修行を終えると、1600年、古代と近代の作品を学ぶためにイタリアへと渡ります。イタリア生活の中で訪れたヴェネツィア、マントヴァ、ローマなど各都市で触れた数々の芸術作品は、その後のルーベンスの作品に大きな影響を与えました。
1608年、母マリアが病に倒れたことを聞いたルーベンスは、アントワープに戻ることを決意します(マリアはルーベンスが戻る前に死去)。当時、新たな隆盛を見せ始めていたアントワープで、ルーベンスは宮廷画家に迎えられました。そして、1610年、アントワープの中心部に建てられていた邸宅を購入します。現在の「ルーベンスの家」です。
ルーベンスは購入した邸宅を改築するために、古代ローマの建築様式やルネッサンス期のアーティストや建築家からインスピレーションを受けて、設計図を作成しました。そして、新たに作り出された空間には、アトリエ、庭園パビリオン、ドームを持つ半円形の彫刻ギャラリーなどが拡張され、邸宅とアトリエを繋ぐポルチコが増築されました。
ルーベンスは1640年に死去するまで、この邸宅で家族と暮らしながら、アトリエでは優秀な弟子やアシスタントたちと幾多の作品を制作しました。また、ルーベンスは画家でありながら、同時に7ヵ国語をあやつる外交官として、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家としても活躍した人物だったため、交友関係も広く、顧客である貴族や富豪、知識人らを自宅に招いて、晩年まで華やかな日々を送ったとされています。
貴重なアートコレクション
■『Self-portrait(自画像)』
バロック期を代表する画家として名高いレンブラントと比べて、ルーベンスはあまり自画像を描きませんでした。レンブラントが約40作品を描いた一方で、ルーベンスが残した自画像はわずか4作品。そんな貴重なルーベンスの自画像は必見です。
ルーベンス家の自画像は、ルーベンスが残した4つの自画像の中で最もインフォーマルな作品で、描かれたのは1630年頃とされています。それは当時16歳だったエレーヌ・フールマンと再婚した年。ルーベンスは53歳でした。(他の3作品は、フィレンツェ、ウィーン、英国王室コレクションに収蔵されています。)
美術収集家としても活躍したルーベンス。彼の名高い数々のコレクションを見るために、ヨーロッパ各地からの多くの著名人が訪れたと言われています。
印象的な空間を持つアトリエは、ルーベンスの家のハイライトの1つ。ルーベンスの作品のほとんどは、優秀な弟子やアシスタントとともにこのアトリエで制作されました。
■『Henry IV at the Battle of Ivry(イヴリーの戦いでのアンリ4世)』
ユグノー戦争の際、1590年に起きたイヴリーの戦いにおけるアンリ4世を描いた作品。アンリ4世の死後、王妃マリー・ド・メディシスは自身と夫アンリ4世の生涯をめぐる2つの連作をルーベンスに依頼しました。王妃の生涯についての連作は完成されましたが、アンリ4世の生涯は未完のまま終わることになりました。
ルーベンスの家にある『イヴリーの戦いでのアンリ4世』は政治的な理由から未完のままですが、同じ場面を描きながら、構図が異なる同じ名前の作品は、連作として描かれた『アンリ4世の勝利』とともにフィレンツェのウフィツィ美術館に収蔵されています。ちなみに、ルーベンスが王妃の生涯を描いた24枚の連作大画『マリー・ド・メディシスの生涯』は、パリのルーヴル美術館に展示されています。
■『Adam and Eve(アダムとイヴ)』
ルーベンスの初期の作品がまだ世間に知られていない頃、イタリアへの出発に先駆けて、制作された作品。アントワープでの修行時代に師事していたフランドルの画家オットー・ファン・フェーン(Otto van Veen)と同じスタイルで描かれています。
この時代のルーベンスの作品は、人物像や景色がとても静的で精密に描かれているため、イタリア滞在後のスタイルがいっそう自由で表現的な色遣いになったことを感じさせます。
ルーベンス時代から継がれるポルチコと美しい庭園
ルーベンス没後、1750年代中期までルーベンス時代の邸宅様式は残されていましたが、ほとんどの部分は改築されてしまいました。ただし、邸宅とアトリエを繋ぐポルチコと庭園パビリオンは、当時のオリジナルのデザインのまま保存されています。
「ポルチコ(Portico)」とは、イタリア語で柱廊・回廊のことで、柱列もしくは壁で囲まれた歩道上に屋根がある空間構造。ルーベンスが設計した印象的なポルチコは、古代ローマ時代の凱旋門に基づきながら、盛期ルネサンスの巨匠ミケランジェロが設計したローマのアウレリアヌス城壁にある城門「ピア門(Porta Pia)」にインスピレーションを引き出されています。
そして、ルーベンスはポルチコにローマ神話に出てくる2人の神の彫刻を設置しました。画家の守護神メルクリウス(マーキュリー)と知恵の女神ミネルヴァです。そのポルチコを抜けると、ルーベンスの家の最も美しい場所の1つである中庭へと繋がります。
1937年、アントワープ市がルーベンスの家を購入したとき、ルーベンスの家と中庭を忠実に再建するため、当時の庭園のデータや17世紀のルーベンスの作品を頼りに研究をはじめました。例えば、ルーベンスの作品『Strolling in the garden(庭で散歩)』は、パーゴラと庭のゲートを組み立てるための参考にされ、また、1993年にアントワープが欧州文化首都に指定されると、ルーベンス時代に育てられていたと推測される植物へと植え替えられたのです。
オフィシャルサイトによると、現在も復元作業は進められていて、2018年の終わりまでに完全に復元された美しい庭とパーゴラを楽しむことができるようです。楽しみですね。ただ一方で、荒廃してしまったものを元に戻すというのは、多大な時間と労力を必要とするものだなぁと、あらためて感じました。
美術館でありながら、もともとはルーベンスが愛していた邸宅だった「ルーベンスの家」。貴重なコレクションの数々を鑑賞しながら、日々の暮らしが営まれていた台所やダイニング、ベッドルームには温かみのある空気が漂い、これまで切り取られた作品を通してしか知ることがなかったルーベンスに、どこか人懐かしさを覚えることができたようでした。
・Rubenshuis(オフィシャルサイト/英語)
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