国名:インド(Republic of India)
面積:328.7万平方キロメートル(パキスタン、中国との係争地を含む)世界第7位
人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
首都:ニューデリー(New Delhi)
民族:インド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族等
言語:ヒンディー語(連邦公用語)・英語(連邦準公用語)・他に憲法で公認されている州の言語が21
・こんにちは:ナマステ
・ありがとう:サンキュー(thank you)※ダンニャバードは日常的にあまり使用されない
宗教:ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、 仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%
政治:共和制、二院制(上院245議席、下院545議席)
通貨:インド・ルピー(Rs/INR)US$1≒Rs67.5、Rs1≒1.74円(2016年1月現在)
チップ:
【ホテル】荷物を運んでもらったり、ルームサービスを頼んだりしたときには、チップを渡した方がスマート。中級ホテルではRs20、高級ホテルでは荷物1個につきRs30~40程度。
【レストラン】サービス料が含まれている場合は不要。そうでない場合は5%程度。ただし、庶民的なレストランではおつりの小銭を置いたり、それも必ずというものではない。
【その他】個人でガイドや車を手配した場合、ガイドには客ひとりにつきRs100~が相場。
時間帯:UTC (+5:30)(DST:なし)日本との時差は-3.5時間
気候:国土の広いインドでは、地域によってかなり気候が異なるが、概ね4~5月の暑季、6~10月の雨季、11月~3月の乾季に分けられる。一般的にインド旅行のベストシーズンは、乾季で雨も少なく暑くない、11~2月頃。ただし、12~1月頃、北部は最低気温が氷点下を記録する日もあり、山岳方面の観光はできない。また、雨季の西部では、モンスーンの影響で1日数回スコールが降り、特にムンバイなど西岸部は1回のスコールの降水量が多くなる。
◆日印関係(外務省HP、Wikiより)
日印両国は1952年に国交を樹立。インド国内の強い親日感情にも支えられながら、友好関係を維持してきた。2000年8月に「日印グローバル・パートナーシップ」構築に合意。その後、2005年以降、ほぼ毎年交互に首脳が相手国を訪問し、年次首脳会談を実施。2014年9月にはモディ首相が訪日し,両国関係は「特別」戦略的グローバル・パートナーシップへ格上げされた。2015年の首脳会談後,両首脳は「日印新時代」の道しるべとなる「日印ヴィジョン2025 特別戦略的グローバル・パートナーシップ インド太平洋地域と世界の平和と繁栄のための協働」と題する共同声明を発出した。
歴史において、近代以前の日本では、中国経由で伝わった仏教に関わる形で、インドが知られた(当時はインドのことを天竺と呼んでいた)。
第二次世界大戦中、インド国民会議から分派した独立運動家のチャンドラ・ボースが日本軍の援助の下でインド国民軍を結成し、日本軍とともにインパール作戦を行ったが、失敗に終わった。1948年、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、インド代表ラダ・ビノード・パール判事は、「イギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪である」と主張して、日本の戦争犯罪を認めつつも、国際法上の問題から、結果的に日本の無罪を主張する内容の意見書を発表。このエピソードは、インドと日本の親密さの象徴であると主張されている。
1949年、敗戦で落ち込んだ日本を励ますため、インドは上野動物園に二匹の象を贈った。
インドは国内外の情勢から、ソ連・中国が調印しないことはアジアの平和にとって致命的として、1951年のサンフランシスコ講和会議に欠席。その後、1952年に日印の国交が回復、同年に平和条約が締結された。インドは、アメリカ合衆国やオーストラリアとともに、日本と安全保障条約を締結した世界で3つの国のうちの1つである。
1998年のインドのポカランにおける核実験後、インドとの政治的な交流や経済援助の削減を含む制裁を課し、日印関係は停滞したが、その3年後に解除された。この頃より両国の二国間関係は再び加速度をつけて改善している。
現在、日本はインドに対して第3位の海外直接投資を行っていて、1991年以降、日本企業が行った対印投資の累積額はおよそ2600億ドルに上る。2008年には、日本はデリー・ムンバイ間を結ぶ鉄道建設事業に4500億ドルの低金利の融資を供与することでインドと合意した。これは日本による海外における融資で単独の計画としては過去最大で、両国の経済的なパートナーシップの成長を反映している。
インドが比較的親日国であり、日本人の親印感情も高いと考えられているのは、こうした歴史によるものである。
・インド(外務省HP)