いつか訪れてみたい場所のひとつだった「アンコール・ワット(Angkor Wat)」。
1992年にアンコール遺跡として世界遺産に登録、翌1993年にはアンコール・ワットの祠堂を描いたカンボジア国旗が制定されました。まさにカンボジアの顔です。
旅のはじまりを飾るこれ以上ないビッグネームへの心構えもままならいまま、早速、空港に迎えに来てくれたトゥクトゥクの運転手さんと交渉して、日没の時間に合わせてアンコール・ワットへ連れて行ってもらうことになりました。
シェムリアップ市街からアンコール・ワットまでおよそ7km。途中のチケット売り場で、アンコール遺跡を巡る3days passを40ドルで購入しました。ビール(中ジョッキ)1杯1ドルの物価を考えると、なかなかのお値段ですが、顔写真入りの立派なチケットです。
窓口のお姉さんに 「Don’t move!」とキツく言われたので真顔…。
まさにアンコール・ワットに到着するタイミングで降っていた雨がピタリと止んで、奇跡のようにとってもキレイな虹のアーチが架かりました!amazing!!
アンコールワットは、12世紀前半、クメール王朝の王だったスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教の寺院として建立されました。サンスクリット語で「アンコール」は「王都(都市)」、クメール語で「ワット」は「寺院」を意味しています。
境内は、外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅190メートルの濠で囲まれています。外観からは力強さを感じていましたが、回廊の一面に施されたレリーフは細やかで曲線的な美しさがあり、神聖さが伝わってきました。
20世紀後半に20年以上続いたカンボジアの内戦は、私も幼いながら終結の頃の記憶があります。当時の内戦によるアンコール遺跡への被害は大きく、首を撥ねられたり、砕かれた仏像を実際に目の当たりにすると、とても心が痛かったです。
戦争や争いは大切にしてきた文化や信条をも破壊してしまうことを感じました。それによって、成り立ってきた今の世界があるにせよ、そこには誰かの悲しみもあるのだと…。
今は、日本も含めた各国が協力してアンコール遺跡の修復を行いつつ、周辺に残された地雷の撤去も進んでいます。
アンコール・ワットをより詳しく知ったきっかけは、「電波少年」の「アンコール・ワットへの道」というカンボジアの道路を舗装する企画だったように思います。笑いもありつつ、地雷とその被害の現状や現地の人たちとの交流を見ることができたり。無茶も多い番組ったけど、海外の企画(特に猿岩石のヒッチハイク)は、世界のリアルを知ることができる私の楽しみのひとつでした。
2015年、数年前から憧れていたアンコール・ワットへの道を歩くことができて、感激の日となりました。翌日もアンコール・トムへ行く前に訪れてみましたが、正面が西向きで午前中は逆光になってしまうので、アンコール・ワットへは午後の時間帯に訪問されることをおすすめします!