バガン遺跡「ダマヤンジー寺院」未完成のまま残された寺院の由縁とは?

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「ダマヤンジー寺院(Dhammayangyi Temple)」は、基壇一辺の長さ約78メートルというバガンの中で最大規模の寺院です。1170年、パガン王朝第5代ナラトゥー(Narathu)王のもと建設が始められました。しかし、途中で工事は中止され、ダマヤンジー寺院は未完成のままとなってしまったのです。

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実は、このダマヤンジー寺院には少し怖い伝説があります。

ナラトゥーの父で、当時の王だったアラウンシードゥー(Alaungsithu)王は、長男であるミンシンソウ(Min Shin Saw)を後継者としていましたが、お互いの意見の相違から、ミンシンソウは宮殿を追われ、マンダレー東部で亡命生活を送ることになりました。ミンシンソウは亡命中にも耕作地を作り、運河を建設し、信者を集めながら自己資金を調達します。そして、学者や僧侶を招待して、多くの本を書き、彼の信者たちに教えるなど、亡命中にも成功を収めながら、父であるアラウンシードゥー王に忠実であり続けたのです。

一方、アラウンシードゥー王は弟であるナラトゥーを後継者とすることを明らかにしていました。しかし、王位に就くことを待ちきれなかったナラトゥーは、病気になった王を宮殿から近くの寺院へと幽閉してしまいます。意識を取り戻した王は激怒しましたが、ナラトゥーはそのまま布団の上で、父であるアラウンシードゥー王に毛布を被せて窒息死させたのです。

亡命していたミンシンソウは、軍を率いてパガンに進攻し、自らの王位を主張しました。ナラトゥーも兄が新しい王であることを宣言して、戴冠式の指揮を執りました。新しい王となったミンシンソウは、その夜、王としての初めての食事の場で、ナラトゥーによって毒殺されてしまったのです。そして、ナラトゥーは自分こそが王位継承者であると主張しました。

その後、ナラトゥー王の行為は、王朝の威信を下げ、多くから不評の声が上がり、自らも罪悪感による重圧を抱え、宮殿に閉じ込もってしまいます。ナラトゥー王は罪を償うため、バガンの中で最も大きい寺院の建立を決断しました。それが、ダマヤンジー寺院です。

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ダマヤンジー寺院は、アーナンダ寺院と同様の建築様式で進行されましたが、建設途中にナラトゥー王が亡くなったため、未完成のまま工事が中止されてしまったのです。
このナラトゥー王の死に纏わる伝説も諸説あり、王自らが自殺したという説、ナラトゥーが殺害した妻の父であったインドのパティカヤ王が8人の刺客を送り込んだという説、スリランカからの侵略者によって殺されたという説などが伝えられています。

一見、未完成のために、尖塔の “シカラ(sikhara)”がないように思われますが、かつて建築されていたシカラは崩壊してしまったのだそうです。色々と因縁を感じます…。

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また、理由は知られていませんが、寺院の内部はレンガで覆い塞がれています。これもナラトゥー王が暗殺された場所だからという説もあるとか…。
現在は、4箇所のポーチと外側の回廊だけアクセス可能となっています。

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バガン遺跡の回廊を歩いていると、どことなく落ち着いた空気が流れているのですが、ダマヤンジー寺院はその由縁を知ってか知らでか、なんとなくヒンヤリする空気を感じたのは気のせいだったしょうか…。

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立派な外観ながら、どこか寂しさや悲哀を残すダマヤンジー寺院をあとにしました。

Dhammayangyi Temple(Wikipedia)

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