ベルギー王国 基本情報

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国名:ベルギー王国(Kingdom of Belgium)

面積:3.05万平方km(日本の約12分の1)

人口:約1,135.3万人(2016年)

首都:ブリュッセル(約116万人,2014年末)

民族:オランダ語のベルギー方言とも言うべきフラマン語を話すフラマン人が58%、フランス語を話すワロン人が31%、その他混血などが11%。

言語:オランダ語,フランス語,ドイツ語

宗教:伝統的にはカトリック、近年はムスリム移民が増加。

政治:立憲君主制、二院制(下院:150名、上院:60名)
元首:フィリップ国王(2013年7月21日即位)

国家元首である国王は、立法権を連邦議会と共に行使し、行政執行権を憲法に基づき行使する。連邦議会は二院制で、上院は直接選挙ではなく、地域及び共同体議会により指名された議員50人とこれらの議員に指名された10人により構成される。下院である代議院の議席数は150で、比例代表選挙により選出する。いずれも任期は4年で、同日に投票が行われる。
自由党、社会党、キリスト教民主党、環境政党がオランダ語系(フラマン系)とフランス語系(ワロン系)に分離するなど、地域で政党が分かれているのがベルギーの政党の特徴。
連邦政府の長である首相は、議会の総選挙後に国王から指名された人物が組閣責任者となり、最大15名からなる内閣を組閣する(議院内閣制)。組閣責任者は必ずしも第1党から選任されるとは限らない。もしも、この後に下院の承認を得られない場合は、国王に対して辞表を提出することになる。
2014年5月に行われた連邦議会選挙において,オランダ語圏ではフランダース地域の自立を目指す新フランダース同盟が,フランス語圏では社会党が最大議席を占めた。10月、連邦議会選挙で第1党となった新フランダース同盟及びフランス語系自由党、オランダ語系自由党、オランダ語系キリスト教政党の計4党の連立による政権が発足した。首相には、4党間協議の結果、フランス語系自由党のシャルル・ミシェル党首(当時38歳で史上最年少)が就任した。

通貨:ユーロ (€/EUR)US$1≒€0.88、1€≒130円(2017年7月11日現在)

チップ:ほとんどの料金にサービス料と税金が含まれているため、原則としてチップは不要。
【レストラン】税・サービス料が含まれているため不要。ただし、高級店では10~15%程度のチップを渡したり、カード払いの際に金額を記入することも 。
【ホテル】特別な用事やルームサービスなど頼んだときに€1~2渡す。
【タクシー】基本的に乗車だけであれば不要。大きな荷物の積み下ろしや特別な用事を頼んだ場合には€1~2程度。
【トイレ】金額が表示されていない場合、座っている係の人に€0.5程度を渡す。

時間帯:UTC +1(DST:+2)日本の時差は-8時間(サマータイム中は−7時間)

気候:西ヨーロッパに位置するベルギー。暖流の北大西洋海流による穏やかな西海岸性気候で、晴天の続く夏期でも最高気温が20度を上回ることは多くなく、日本同様四季がありますが、比較的に涼しく過ごしやすい気候。年間を通じて雨が多いのが特徴ですが、少量の降雨で1日中降り続けることはありません。ただ、1日のうちでも天気が変わりやすいので、雨具を用意が必要。

◆日ベルギー関係(Wikipediaより抜粋)
・明治〜江戸
日本とベルギーの国交が開始されたのは1866年(慶応2年)の日白修好通商航海条約締結以降。1873年(明治6年)には岩倉使節団がベルギーを公式訪問し、国王のレオポルド2世に謁見した。1877年(明治10年)には周布公平が本格的なベルギー紹介書である「白耳義国志」を著わした。また久米邦武、井上毅、矢野龍渓、依光方成等もベルギーを、小国ながら大国に伍していると評価し、模範国の一つとするべきであると紹介している。さらに陸軍は大国の間にあって中立を堅持しているベルギーの軍事力に注目し、山県有朋、有栖川宮熾仁親王、野津道貫らが視察に訪れ、また多くの士官を留学生として派遣した。

・日清戦争から第一次世界大戦〜戦間期
1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦でベルギーがドイツ帝国の侵攻を受け、大国ドイツに対する「白国の義戦」が報じられると、日本におけるベルギーへの関心は急速に高まった。日本参戦後は同じ連合国の一員となり、多くの交渉を持った。1921年5月31日には在ベルギー日本公使館が大使館に格上げされ、アルベール・ド・バッソンピエールが初代駐日ベルギー大使として就任し、6月には皇太子裕仁親王がベルギーを公式訪問した。9月には在日本ベルギー公使館が大使館に昇格している。

・第二次世界大戦〜戦後
1922年(大正11年)には両国が参加したワシントン会議において九カ国条約を締結し、いわゆるワシントン体制を構築した。しかし日本が1937年(昭和12年)11月のブリュッセル会議への参加を拒絶したことでワシントン体制は崩壊し、第二次世界大戦の勃発後、両国関係は断絶した。だがこれ以降も何度も貿易をしている。
1951年(昭和26年)、講和条約の締結により、日本とベルギーの外交関係は復活した。以降両国関係はおおむね良好。1971年(昭和46年)、戦後初となる昭和天皇の欧州訪問が行われたが、きっかけとなったのはボードゥアン1世からの招待であるなど、皇室と王室の関係もきわめて親密である。

・外務省HPより
伝統的に友好関係を維持。日本国皇室・ベルギー王室関係は極めて親密。1866年に外交関係を樹立し,2016年に150周年を迎えた。同年は「日本・ベルギー友好150周年」として盛大に祝賀され,その日本側名誉総裁に天皇陛下が,ベルギー側名誉総裁にフィリップ国王陛下が各々御就任された。同年10月には,フィリップ国王・王妃両陛下が国賓として訪日された。

ベルギー王国(外務省HP)

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