今回の旅を計画する前から、インドで観光客の日本人女性が監禁暴行されたというニュースがあったり、国籍問わず女性が危険に晒される事件が多発しているという情報を耳にしていたので、インドを訪れることに迷う気持ちがあり、周りの人からも心配いただきました。それでも、ずっと心の中にあったマザーハウスでボランティアしたい思いと、もう一度、インドという国を自分の目で確かめたい思いがあって、やっぱり旅のルートに組むことにしました。
6年前、初めてインドを訪れたとき、それまで何不自由ない先進国しか訪れたことがなかった私は、デリーに到着してすぐに物乞いの少女に出会って、大きなショックを受けました。そうした現実があることを頭では理解していたつもりでしたが、目の前で起こった事実に、身動きを取ることができませんでした。それから数日間で少しずつ環境に慣れてきたものの、街を歩くときは、どこかに警戒心があり、自分の殻に閉じこもっていたように思います。
対人関係も同様ですが、自分が心に壁をつくっていたら、相手が心を開いてくれることもなく、相手の良さを見つけることもできません。どこかに疑心があれば、真実を見極める目を曇らせてしまうことも、誤った理解を正当化してしまうことさえあります。
ブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」から世界的に有名なセリフをタイトルに拝借しましたが、この「Don’t think,Feel.」の後には、さらに大切な言葉が続きます。
“Don’t think,feel. It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”
「考えるな。感じろ。それは月を指差すようなもの。そればかりに気を取られていると、天が導く栄光を見逃すことになる。」
月は「物事の本質」、指は「目先の物事」というイメージでしょうか。本当に大切なのは、月を正確に指差すことではなく、月そのものをしっかり見ること。そういう理解をしました。
あれから6年を経て、再び訪れたインドでは、まさに「感じること」を覚えました。日本を出発してから、フィリピン、カンボジア、タイ、ミャンマーと渡ってきて、インド最初の都市、コルカタを訪れたときには、どの国とも違った心地良さを感じました。続いて訪れたポンディシェリやチェンナイでも、それぞれ都市の雰囲気は違いますが、コルカタ同様に感じるインドの心地良さや穏やかさ、正直さがありました。
考えるより、体感することで得られるインスピレーションは、直感にも近いのだと思いますが、それは単なる勘ではなく、経験から得た自らの力が判断して、感じさせているのだと思います。情報を得ることは有益になることもあれば、ときに行動を制限したり、不要な先入観を与えて、迷いを生じさせることもあります。そうしたとき、情報を選択・仕分けすることが必要で、そうした能力もまた、考えるより感じることで養われていくように思います。
最後に、インドをはじめとして、訪れた土地で出会った子どもたちの笑顔は、明るい未来や希望そのもののように感じました。それぞれの国で抱えている治安や貧困などの問題に起因する危険があることも事実で、ときに不安を感じることもありましたが、子どもたちの存在は、いつも私を安堵させてくれました。たった今の世界情勢を切り取ると、難しい問題が溢れ返っていますが、それでも世界はきっと良くなっていくと信じているから、その笑顔が守られ続けている未来であってほしいと、心から願いました。