「ケルン大聖堂」世界最大を誇る壮大なゴシック建築

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ドイツ西部ライン川沿いに位置する「ケルン(Köln)」は、古代ローマ時代から交通や商業の拠点として発展してきた都市です。そうした古い歴史を誇るケルンの中心部に「ケルン大聖堂(Kölner Dom/Cologne Cathedral)」が聳え立ちます。正式名称は「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria/聖ペトロとマリア大聖堂の意)」。1996年、ユネスコ世界遺産に登録されています。

ドイツの主要都市を結ぶ高速鉄道ICE(InterCity Express)を利用して、滞在しているフランクフルト中央駅(Frankfurt Hauptbahnhof)からケルン中央駅(Köln Hauptbahnhof)まで、乗換なしで約1時間で到着しました。この距離であれば、気軽にショートトリップを楽しむことができますね。

ケルン中央駅前の広場に隣接するケルン大聖堂。こんなにも間近にあることに驚きます。

ファザードは天を衝くように高く伸びる双塔、何体もの精緻な彫刻が施された3つの玄関があり、まさに迫るような荘厳さに圧倒されます。その大きさは、高さ157m、奥行き114m、幅86m、ゴシック様式の建築物としては世界最大を誇ります。

最初にこの地に教会が置かれたのは、4世紀まで遡ります。9世紀に建て替えられ、12世紀に東方三博士の聖遺物(遺骨)が安置されたことで、多くの巡礼者を集めました。その後、1248年の火災によって焼失、同年に再建がはじまりましたが、資金難などで300年近く工事が中断。その後、1842年に工事が再開され、完成を迎えたのは1880年。建設開始から632年という長い年月を経ても、建設者たちは当初のプランを頑なに守り続けて築き上げたのです。

ケルン大聖堂の完成は、ゲーテによって招来されたゴシック建築の復興運動「ゴシック・リヴァイヴァル」が大きな要因とされています。ゴシック・リヴァイヴァルは、19世紀のロマン主義芸術家や著述家の間でゴシック様式が再発見されたことにはじまり、その傾向のひとつとして、フランスではヴィクトル・ユーゴーが小説『ノートルダム・ド・パリ』を発表したことで復興運動が強まり、「ノートルダム大聖堂」が修復されました。

ケルン大聖堂は、フランスで最も高い大聖堂「アミアン大聖堂(Amiens Cathedral)」を模範として作られたと言われています。まさに大聖堂の中に入ると、その圧倒的な高さと窓から取り込まれる光の調和が美しく、神秘的な空間に息を飲みます。

側壁の高部には「クリアストーリー」と呼ばれる採光用の高窓が並びます。低い部分には装飾の多いステンドグラスがはめ込まれて、その下には「トリフォリウム」と呼ばれる丸いアーチの段があり、全体は高い柱心で結合されています。

数々の美しいステンドグラスの中で、バイエルン王ルードヴィヒ1世が寄贈した「バイエルンの窓」と呼ばれる5枚の有名なステンドグラスがあります。バイエルンの紋章と寄贈を示す文言「 Ludovicus I. Bavariae」が記されているのが特徴です。色鮮やかな5枚のステンドグラスには「受胎告知」「東方三博士の礼拝」「ピエタ」「聖霊降臨」「聖ステファノの殉教」が描かれています。

中央祭壇の奥に安置されているのは、東方三博士の聖遺物(遺骨)が入った黄金の聖棺です。間近には拝見することはできませんでしたが、眩いほどの輝きを放っていました。この聖棺はミラノから三博士の聖遺物が運ばれてきた後、多くの職人よって手掛けられたそうです。

ケルン大聖堂は、ユネスコの世界遺産に登録されましたが、周辺に高層の建築物が計画されたことで、景観の破壊が危惧されたため、2004年に危機遺産に指定されました。すると、大聖堂の周囲に建築物の高さの規制を敷くなど市や行政の努力によって、2006年に危機遺産の指定が解除され、現在もケルン大聖堂を街のシンボルとして、美しい景観が存続しています。

ケルン大聖堂の壮大さが少しでも伝わればと、自然と縦の写真が多くなってしまいましたが、あらためて世界最大というゴシック様式の建築物は、外観も内観も見応えがありました。ケルン中央駅の目の前という立地の良さもあり、ドイツの旅の途中にもぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

Kölner Dom(オフィシャルサイト)

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